宮古馬保存会とは

 

■ 保存会発足の経緯

 

  宮古島において、宮古馬の保存が始まったのは、1976(昭和51)年7月に、琉球大学農学部助教授(当時)新城明久氏が、日本畜産学会法第47巻第7号で「宮古馬の体系と改良の経過」を発表したことを受け、同年11月に、宮古畜産技術員会が、宮古馬の実態調査を行い、純粋に近い14頭を確認したのが始まりです。

 その後、1977(昭和52)年1月には、宮古市町村経済担当課長会で宮古馬の保存策について検討が行われ、同年5月には、沖縄県家畜保健衛生所宮古支所が宮古馬の雄1頭、雌1頭を導入し保存に向けての取り組みが行われました。

 同年11月には、平良市役所内に宮古馬保存対策会議が開かれ、市営の熱帯植物園で飼育することが確認され、1978(昭和53)年4月に宮古馬3頭を購入し、飼育が始まりました。また、同月には、具志川市の名護宏明氏より雄の宮古馬1頭を平良市に寄贈され、「太平号」と命名されました。同年5月には、宮古馬保存会結成準備会が平良市役所内に設置され、1980(昭和55)年4月1日に、正式に宮古馬保存会が発足しました。その後、宮古島市教育委員会内に事務局が移されております。2023年(令和5年)5月現在では、48頭まで増えています。



■宮古馬保存会組織図